野球選手

【ドラフト2024】中村優斗選手の出身高校・中学はどこ?最速・平均球速も調査!

※本ページにはプロモーションが含まれています。

ドラフト2024候補として愛知工業大学の中村優斗選手の名前が上がっています。

中村優斗選手の出身高校や中学はどこなのか、野球成績なども気になるところですよね。

また、ピッチャーとして活躍している中村優斗選手ですが、最速や平均球速はどのくらいなのでしょうか?

そこでこの記事では、中村優斗選手の出身高校・中学はどこなのか、最速・平均球速なども調査してみました。

ぜひ最後までお読みください。

【ドラフト2024】中村優斗選手の出身高校はどこ?

ドラフト2024候補の中村優斗選手の出身高校は、長崎県立諫早農業高校です。

諫早農業高校 偏差値:42

中村優斗選手は高校1年生の秋から背番号1をつけていたものの、学校の成績としては高校2年生の春・夏で達成した県大会ベスト8が最高成績でした。

高校3年生の夏も県大会初戦敗退であったため、中村優斗選手が高校生の時はチームとして大きな成績を残していたわけではありませんでした。

ただ、中村優斗選手自身は高校2年生の頃に最速140キロを超えるようになっていきました。

高校3年生の時の夏の大会は新型コロナウイルスの影響で甲子園の道が閉ざされたということもあり、そのタイミングで将来的にも野球を続けようと思ったそうです。

中村優斗選手に声をかけたのが、現在所属している愛知工業大学だったそうです。

少しずつ力をつけてきた中村優斗選手に対して「4年間で力をつければプロへ行ける」と評価していて、中村優斗選手自身もプロの世界に行ってみたいと思うようになったきっかけにもなりました。

【ドラフト2024】中村優斗選手の出身中学はどこ?

ドラフト2024候補の中村優斗選手の出身中学は、諫早市立長田中学校です。

中村優斗選手は小学校2年生の時に「長田ジュニアクラブ」にて野球を始めていて、出身中学である諫早市立長田中学校時代は軟式野球部に所属していました。

中学生の頃は「県庁で働いて地元に貢献したい」という将来の夢を持って、長崎県立諫早農業高校へ進学しています。

当時はやりたいことがなかったとのことで、両親に相談した上で公務員を目指すということになり、公務員試験の合格率の高い長崎県立諫早農業高校への進学を決めたとのことでした。

【ドラフト2024】中村優斗選手の最速・平均球速は?

ドラフト2024候補の中村優斗選手の最速は159キロです。

2024年8月末に行われたU-18壮行試合にも出場していて、登板したときには8球全て150キロを超えていました。

スタミナもしっかりとあり、制球力もあるということで、本格派ピッチャーとして中村優斗選手は知られています。

チケット購入方法

【高校野球・大学野球】U-18日本代表2024の壮行試合はテレビ中継がある?チケットの発売日程や出場メンバーについて調査!

2024/8/23  

2024年9月に開催される「第13回 BFA U18アジア選手権」に出場するU-18日本代表2024の壮行試合が行われることが発表されました。 対戦相手は大学日本代表メンバーということで、ハイレベルな ...

中村優斗選手が高校2年生の時に最速141キロを出していましたが、大学に進学してからかなり球速が伸びたことがわかりますよね。

ちなみに中村優斗選手の平均球速は151キロほどとのことでした。

【ドラフト2024】中村優斗選手は長崎出身!プロフィールまとめ

名前(読み方)中村優斗(なかむら ゆうと)
生年月日2003年2月8日
出身地長崎県諫早市
身長・体重176cm・81kg
投打右投・左打
ポジションピッチャー

ドラフト2024候補の中村優斗選手は長崎県諫早市出身で、小学校、中学校ともに地元の学校に通っていました。

自然に囲まれた土地で育ったということで、小さい頃から走り回ったりなどして体力が自然とついていっていたのかもしれません。

また、家族構成は、父親、母親、姉、中村優斗選手、妹の5人家族なのだそうです。

父はどんな人?

中村優斗選手の父親の名前は中村哲也さんというそうです。

父の哲也さんは中村優斗選手が大学3年生の時に登板した試合に駆けつけていて、当時最速の154キロを出していました。

中村優斗選手は「親の意向で野球を始めた」とのことでしたが、父親なのか母親なのかまではわかりませんでした。

しかし、多くの場合では父親の影響で野球を始めることが多いため、もしかしたら中村優斗選手も同じようなケースなのかもしれませんね。

中村優斗選手の父親は野球の練習に熱心に向き合っていて、中村優斗選手が小学4年生の時にピッチャーをやり始めた際には自宅の庭に16mのマウンドを作ったそうです。

その要因については、「小学校4年から投手を始めました。父が自宅の庭に16mのマウンドを作って、『ストライクゾーンに投げろ!』とピッチング練習をしていました。父の機嫌を良くするために頑張りましたが、当時は嫌々でした(笑)。でも、それがあるから今の制球力があります」と苦笑う。

話が遠回りしたが、幼少期の哲也さんの熱心な指導が中村の基礎をつくったことが分かる。

小学6年時にはその制球力を武器にチームを県3位に導く。

https://plus.chunichi.co.jp/blog/umemoto02/article/767/11447

やはり息子に野球を熱心に教えていたということなので、中村優斗選手は父親の影響にて野球を始めたものだと思われます。

中村優斗選手が愛知工業大学へ進学する時には「県外に出て勉強してきなさい」と父親が背中を押してくれたそうです。

中村優斗選手の父親は、いつまでも息子のことを応援してくれる存在なのでしょうね。

-野球選手